hanasakaのブログ

生活の記録です。

最後のサムライ。 河井継之助

小松イオンで上演されていた「峠」を観てきました。



前日は小松市の隣にある辰口温泉、たがわ龍泉閣に県民割を利用して泊まりました。



県外移動禁止令が今だに職場で出ていますので県内をウロウロするより方法が無いのです。


感じとしては古い旅館でした。




料理も普通。




一泊2万円は高すぎるけど、1万円の県民割にクーポン2000円がつくから実質8000円で泊まれたので、まあいいか。です。


リピートしたいとは思いませんけど。


さてさて、翌日チェックアウト後に周りには、いしかわ動物園しか無くて天気は快晴で暑くて歩く気にならず、映画でも観ようとなったのです。


私は若い頃、司馬遼太郎の時代小説のファンでした。
(世に棲む日々)で吉田松陰と高杉晋作に。
(燃えよ剣)で土方歳三に。
(竜馬がゆく)で坂本龍馬に。
(峠)で河井継之助に。
恋をしてしまいました。


独身の頃に名古屋で働いていたのですが、司馬遼太郎の

講演会があり聞きに行った事があります。
写真の通り白髪でした。
小説はおもしろいのですが、講演会はボソボソと話すだけで、ひじょうにつまらなかった記憶があります。
最後に質疑応答があり、私は質問をしました。
何を質問したか、どんな答えがあったか
覚えていませんけど。
サイン入りの本をもらいました。


(峠)と言う小説を読み、河井継之助に惹かれた記憶が
あるので映画を観ようと思いました。


越後長岡藩家老、河井継之助は世界を見据えるグローバルな視野を持ち領民の為の藩政改革を次々と実行していましたが、日本が旧幕府軍と明治新政府軍に二分割され
る中、戦争を回避しようと近代兵器を備えて武装中立を目指しましたが、平和への願いも虚しく長岡藩は戦火に飲まれて行きます。

継之助は徳川大名としての義を貫き、明治新政府軍との砲火を交える決断を下します。
サムライと言うのは類型の無い美的人間だと司馬遼太郎は言っています。
それが河井継之助なのです。


戦いを回避する緊迫した交渉の場面が出てきます。


現在、ウクライナで戦争が続いています。
戦争を回避する交渉が行われたのでしょうが戦争は始まり、今だに続いています。


映画の中に戦いのシーンが沢山出てきます。
日本人どおしが刀と銃で戦っていました。


しかし、今や世界規模の戦争が始まれば核兵器が使われる時代です。


戦争は避けなければならない。
と河井継之助は言っています。


それは現代でも当てはまる事です。


河井継之助が切望した平和な庶民の暮らしが、この現代でも必要な重点事項だと
「峠」を観て感じました。

行事食として、押し寿司作りをしました。

本当は、柿の葉寿司作りをしたかったのですが柿の葉を集めるのが大変で押し寿司作りになりました。


酢飯を押し型で押したのを切り分け
入居者の方に、錦糸卵、デンプ、鮭フレーク、刻み海苔などをトッピングしていただきました。



寿司桶



押型の木枠



これらは職員が家から持ってきました。


道具を見ただけで「ほ〜。今日は寿司か」と目を輝かせる方もみえます。


お寿司、皆さん大好物ですねえ。
とても喜ばれます。




柿の葉寿司は加賀地方の郷土料理です。
春と秋の祭りの時に作られます。


奈良や和歌山の酢飯と具を柿の葉で包み込むのでは無くて、柿の葉の上に酢飯を乗せて、その上に鯖、鮭、鱈、小鯛(生では無くて干物)桜海老、青藻などを乗せて、木枠の中に重ねて入れて重しを乗せ1日から数日おいてから食べるものです。


祭りの時期になるとスーパーには柿の葉寿司の材料が売り出されます。
柿の葉も売られていますが、とても高価です。


祭りの時には、ご飯を5升炊いて酢飯を作った。
木枠も家のはもっと大きかった。
柿の葉を山に取りに行っていつも蜂に刺された。
など柿の葉寿司を作った思い出を入居者の方は話して下さいました。


祭りの時には柿の葉寿司を作り親戚を呼ぶのが加賀市の風習のようです。
親戚に柿の葉寿司を配ったと言う方もみえました。


一家の主婦として全盛期の頃は皆さんは
祭りの時は柿の葉寿司作りをされてきたのです。


今はどうかな?
現代の若い主婦はそこまで柿の葉寿司作りに熱心でないように思われます。


私は加賀市の元々の住人では無いのですが、同僚の加賀市で生まれ育ち、市内に嫁いだ人達は皆さん、「柿の葉寿司なんてばーちゃんが作る物だわ、ばーちゃんが作らなくなったら私は作る気はないね」なんて言っています。


伝統料理と言うものは、こうして消失していくのでしょうか??




追記


イオンに来たら柿の葉寿司を売っていました。



これが柿の葉寿司です。
ちょっと家庭で作るのとは違うような気もしますが。
家庭だと柿の葉の上に酢飯と具材がのっているような感じです。

参政党の街頭演説会に行ってきました。

福井駅前で参政党の街頭演説会が行われると言う事で出掛けてきました。


私の住んで居るところは福井県と石川県の県境でJRの普通電車で金沢駅に行く半分の時間で福井駅に行けるのです(30分位)


福井駅の壁面には恐竜の絵があります。



お土産も恐竜です。



福井県は多数の恐竜の化石が発見されていて恐竜大国と呼ばれています。
県立恐竜博物館があります。



駅西にある複合施設パピオンのパピオンテラスで神谷宗幣氏と武田邦彦氏の街頭演説会が開催されていました。



神谷宗幣氏が同じ加賀市に住んでみえると言う事から興味を持ったのと、武田邦彦氏は以前からYouTubeの動画をよく見ていました。


二人の実物を拝見したいと思いました。



平日でしたが若い世代が多かったように感じました。
福井県は保守大国ですが、高齢の方もチラホラ見えました。
遠くからも見えるように巨大なモニターが設置されていました。



私は国政選挙の街頭演説と言うものを一度も聞いた事がありませんでした。
二人の話される事は「我が党に清き一票を」と言った形式型のものでは無かったです。


演説会の終了後に本を買うと二人にサインがしてもらえました。
長蛇の列が続いていました。


私も本を買い、列に並び神谷宗幣氏にサインをして握手をしてもらいました。
一緒に写真を写される人もいて、まるで
アイドルのサイン会みたい。



午後2時からは駅東にある県民ホールの8階で行われたタウンミーティングに参加しました。
これには入場料が2000円必要です。
座席の半分位が埋っていました。



神谷宗幣氏は参政党を作るまでの経緯のようなものを話されました。



武田邦彦氏のお話は、もともとが大学の教授でしたので幅広い話題でまるで講義を聞いているようでした。



最後に質疑応答がありまして二人とも
丁寧に答えてみえました。



武田邦彦氏は4日前に79歳になられたそうですが、次から次に話が溢れ出て来る感じで、人の名前や年月、数字などが淀みなく出てきてその記憶力に感嘆しました。


神谷氏は44歳で若いのですが、
79歳の武田氏が選挙戦を戦われるのは
体力的に大変だと感じました。


タウンミーティングの後には参政党党員との懇親会があるとか。




加賀市では廃校になった黒崎小学校、中学校を利用し神谷氏によりフリースクールが始められています。
それに対し、政党に公共施設を貸していいのかとか、今までに神谷氏の考えに賛同し120名近い人が加賀市に移住されたようですが、オーム真理教のような宗教団体
ではないかと言われているとタウンミーティングの時に神谷氏は話されていました。


職場の同僚でも神谷宗幣氏と参政党を知っているいる人はいませんでした。
1人だけ知っている人がみえましたが地元では「変な人」と言われているようです。


新しい考えはなかなか理解されないのかも知れません。


しかし、このままの日本でいいわけありません。
衰退していきます。


もう、私には未来がないので現状でもいいのですけれど、孫達は未来の日本の中で暮らさないといけません。


参政党が今の政治を少しでも変えて行く起爆剤になって欲しいと思いました。