hanasakaのブログ

生活の記録です。

癌に散る。


お嫁さんのお父さんが、お亡くなりになられました。
享年68歳。


8年ほど前に、9時間に渡る下顎ガンの手術を受けられています。


その後は元気に暮されていました。
多趣味な方でした。
ボクシング。ギター演奏。バックなどの
革製品の制作。


公務員を定年退職されてからは、米や野菜を作られていました。


今年の正月に長男一家が帰った時には
いつもとお変わりなかったそうです。
それが3月に金沢医科大学病院に入院されたのです。
肺と骨に再発していて、抗がん剤と放射線治療を受けられました。
末期との診断でした。
退院され自宅に帰られました。
3月まで公立保育園の園長をされていた
奥様が「私が家で看る」と言われたのです。
往診、訪問看護サービスを受けながらの自宅療養でした。
脊髄までガンが広がり痛みのコントロールが難しかったようです。


「母は、みるみる内に痩せていった」と嫁が話しました。
24時間末期ガンの患者の方を自宅で看る事はどれだけの心労でしょう。


自宅でターミナルを迎えられたのも
奥さんの強い決心と年齢的に60歳とまだ若く体力もあった事と長男夫妻と同居されている事もあるように思います。


コロナ下で今でも病院の面会制限は続いています。
在宅であったので子供や孫に囲まれて過ごされたようです。
嫁も連絡があってから5日間ほど帰っていました。
会話の出来る時もあったようです。



私の夫もガンでした。
胃ガンの手術後9年目に胆管細胞癌を発症しました。
福井医科大学病院に入院しました。
できている場所が門脈の近くで手術も放射線治療も出来ない、抗がん剤も気休め位にしかならない。
治療法が無いので近くの病院に転院するように言われました。
転院する事を決めたその夜に急変しました。
肝性脳症を発症したのです。
それ以後は昏睡状態が続きました。


ただ寝ているだけの姿を見守るだけでした。


でも病院にいるんだ、何かがあれば対応してもらえると言う安心感はあったように思います。


在宅で看取ると言う事は私には出来なかったと思います。


嫁のお母さんは凄い方だと思います。


孫達は「私達におじいちゃんはいないね」と言いました。


父方のおじいちゃんには会った事もないのですけどね。


でも、二人のおじいちゃんの血が孫達の中に流れている事を感じます。

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